”大刀洗平和記念館”
大刀と言えば武士、そして、平和は?
馴染みがないと聞いてもピンとこない名前。
そして、至る所に水田が広がるのどかな平野。
南北朝時代に興味がある方などは、ご存知かもしれませんが、大刀洗町の地名の由来は、熊本の武将菊池武光が戦に勝利したのち、小川で、汚れた刀を濯いだことによるとか。(他にもあるようですが)
この一帯は、古墳や遺跡も沢山見つかっており、先史時代から豊かな土地であったと伺えます。
美しい水車が回り、美味しい農産物が沢山とれる、のどかなこの地域に、平和を謳う施設がなぜあるのか、不思議でした。
仙道古墳公園にて
今ではほとんど面影がありませんが、戦前には大刀洗町を中心として、東洋一とも謳われた巨大な航空基地があったそうなのです。
しかし、戦後GHQによって、日本の航空機産業は解体されてしまいました。そのため、今では、ほとんどわからなくなってしまっているのです。
レトロステーション
その失われた大刀洗飛行場の資料を集めていたのが、現在大刀洗駅に隣接するかつての駅舎を利用したレトロステーションの館長さん。そして、もともとレトロステーションが平和記念館だったそうです。
その資料を町が引き受け、現在の記念館があるとのこと。
だから、展示されている零戦もステーションの館長さんの持ち物だったのだそう。
他にもいろいろな裏話を、スタッフの方に聞かせていただきました。
記念館は来館者が沢山いらっしゃったのに、こちらは私の貸し切り状態でした。
おかげで、古い蓄音機や真空管ラジオの音を聞かせてもらったり、「となりのトトロ」に出てくるような古い電話でお話させてもらったり、展示物について懇切丁寧にいろいろ案内してもらいました。ほんとうに勉強になり、ありがたかったです。
お名前を伺うことを忘れたことが残念。
さくら弾機
さて、話が前後してしまいましたが、大刀洗平和記念館には、実際に使われていた、零戦や九七式戦闘機が展示されています。
この零戦だけは館内で唯一撮影ができるのは、亡くなった持ち主の奥様の意向なのだそうです。
特攻隊は鹿屋基地から飛び立っていたのですが、戦況が悪化すると、諸費用を抑えるために、この大刀洗基地から飛び立つようになりました。
元特攻隊だった男性の体験談の映像をみました。
男性の乗った飛行機は、悪天候で前線に行けず、鹿児島の基地に着陸しました。それから、大刀洗基地に帰ってきたのですが、上官に怒られることが恐ろしかったそうです。しかし、上官は悪天だったのだから、仕方ないといい、ねぎらいの言葉をかけてくれたそうです。
命を賭けて敵を撃つなんて・・・、どれほどの人が有効な作戦だなんて、思っていたのでしょう。
特攻用の戦闘機九七式に積まれていた爆弾の名は「さくら」
名前が美しいことがとても皮肉に感じます。
当初は特攻の成果は高かったようです。しかし、アメリカ軍のレーダーは進化し、近づく特攻機はほとんど、感知できるようになりました。
さらに、戦艦からの発弾が、例え敵弾に当たらなくても、仕込んだセンサーで、最接近時に爆発し、落とせるようにしました。
このシステムで、ほぼ特攻機は戦艦に近づくことができなくなったのです。
《続く》
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