奈倉まゆみの気ままにぶらり

史跡を巡ったことや旅行、歴史のことなど。

大刀洗平和記念館にて(2)

豪雨水害をうけて

先日訪れた朝倉。奥の住宅が見える辺りに筑後川があります。(大した写真を撮ってなかったことが無念)

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あの日は、日が照り、暑かったものの、のどかで緑が美しく、川は穏やかに水を湛えていたのに、5日の筑後川の氾濫から、水害は広がるばかり。

被災地の皆様には、御見舞申し上げます。

九州北部の各地が水害に遭っています。

あれほど、雨が降ってほしいと思っていたのに、ここまで雨はいらないなんて、人間の都合でしょうが、晴れ間が恋しいです。

 

さて、前回の続きです。

 

nakuramayumi-trip.hatenablog.com

 

特攻隊の遺書

 

前回書きましたが、大刀洗航空基地は戦局の悪化により、特攻隊の基地になりました。

幸運なのか、特攻に至らずに済んだ方々もいましたが、国のため、家族や大切な人々のために、命を賭けた青年たちも少なくありませんでした。

 

施設の“追憶の部屋”には、特攻で亡くなった青年たちや度重なる空襲で亡くなった子供たちや挺身隊として、工場で働いていた女学生たちの遺影が飾られていました。

どの写真もとても、若々しさにあふれた良い表情で、このあとの悲劇を思うと、とても悲しくなりました。

 

別コーナーには遺書が展示されていました。

 

どれにも、家族を心配し、また、この突撃への栄誉を喜ぶ内容が書かれていました。

しかし、特攻に失敗した元隊員の方が、特攻の前の日、「やっぱり死にたくないなあ」と思ったと、話しておられる映像を見たあとだったので、心の奥では、「死にたくない」という思いが微塵もなかったとは思えないのでした。

 

一つ、特に目を引いたのが、幼い子を持つ男性の手紙でした。

 

日本が今戦争をしているのは知っていますね。(略)

支那(中国のこと)が弱いのではありません。

日本が強すぎるのです。

 

 

うろ覚えの内容を抜粋して書いているので、ひょっとしたら、間違いがあるかもしれません。

しかし、日本が強すぎるとはどういう意味で書かれたのでしょう。

 

純粋に日本の軍事力の高さを誇りに思いなさいと子供たちに伝えたかったのか。

 

 中国の人々を見下してはいけないと、言いたかったのか。

 

それとも、日本は愚かにも力に奢ってしまったことを揶揄しているのか。

 

直接的に、戦争を批判する内容には思えなかったのですが、深い意味がきっとあると思いました。(あからさまに批判していたら、おそらく残ってはいなかったでしょう。)

 

頓田の森

 

飛行場が出来たことで、周辺には沢山の住民が住んでいました。

しかし、軍事的に重要な大刀洗飛行場は空襲の標的になります。

1935年3月27日の大空襲で、頓田の森に逃げ込んだ子供たち24人が亡くなり、7人が運ばれた病院で亡くなりました。子どもたちは、大人に教えられていた通りに逃げたのです。そこへB29の爆弾が落ちたのです。

 

これは、ショート―ムービーの中のエピソードでした。

 

その中で、主人公である戦争経験者の祖母が孫に、兄にもらった飛行機の模型をあげます。 

その模型がシアタールームの外に展示してありました。その模型を見つけた、「孫」と同じくらいの男の子が「おばあちゃん、これ、映画のヤツ?」と尋ねていました。

一緒に見ていたのだから、訊ねてもおかしくないのですが、こうやって記憶が引き継がれていくのだと思ったら、喜ばしく思えたのでした。

 

 

最後に

 

本当は細かく書けば、書き足りないのですが、ここで、終わらせていただきます。

 

 

前回も書きましたが、もともと平和記念館はお向かいのレトロステーションだったのです。そこの館長さんが音楽館という施設も経営されていて、平和記念館に展示されている戦闘機ももともとこちらの音楽館に展示されていたそうです。

 

大きな蓄音機やアンティークな音響機器があるそうなので、次に行く時は訪ねてみたいです。私自身、AVシステムを持っていたりはしませんが、見るのは好きだったり。

 

www.crossroadfukuoka.jp