長府をぶらり(1)
功山寺
わずかながらに涼しくなってきたので、思い立って、山口県下関市の長府に行ってきました。
毛利輝元自身は萩に築城し(萩城、指月城とも呼ばれる)、実子毛利秀就が家督を継いで長州藩主となりました。
(いろいろ名前が似ていてややこしい)
秀元の墓所がある功山寺は、明治維新の志士にも縁がある寺です。
岩倉具視ら七卿が都落ちし、ここに一時期身を潜めていました。(この時五卿になっていたとか)
高杉晋作は彼らに謁見し、「回天」を謳い、ここから挙兵したと言われています。
この尊攘堂は去年まで、長府博物館として使われていました。昭和に入り桂弥一によって、維新志士の功績を讃えるために造られたそうです。
新館は下関歴史博物館となって、すぐ向かいにありました。赤間神宮にある源平合戦図屏風の写しは見事でした。
他にも江戸時代の朝鮮通信使や幕末の資料なども展示されていて、海上交通の要所下関ならではの歴史が見れたと思います。
長府毛利邸
ここからすぐ近くに明治時代、第14代当主毛利元敏によって建てられた邸宅があります。
福岡の炭鉱王の旧宅のような豪奢さはなく、とても落ち着いていて、自然で美しい庭をゆっくり見て回れるように廊がめぐらされていて、趣深いお屋敷でした。
明治天皇が熊本で行われた陸軍大演習の視察に向かう際、お泊りになったお部屋は清楚で素敵でした。ここから眺めるお庭も良いです
乃木神社
明治天皇が寄られたということは、立ち寄られたのかなと思ってしまいます。
乃木神社の奥には乃木稀典大将の生家が残されています。
隣には長府武道館があります。
宝物館には婦人の絵が展示されていました。とても画才がある方だったようです。
明治天皇崩御後、乃木夫婦が殉死したことは世間で大きなニュースになりました。
夏目漱石の『こころ』でもその話が出てきます。
武士の世を知る人が少なくなり、新しい時代の到来を思わせる事件でもありました。
乃木夫婦の仲睦まじく寄り添う像が立っていました。
(続く)