奈倉まゆみの気ままにぶらり

史跡を巡ったことや旅行、歴史のことなど。

長府をぶらり(2)

忌宮神社

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前回の乃木神社のすぐ近くに、忌宮(いみのみや)神社があります。

ホームページによれば、延喜式内社は古事記、日本書記にも記されている伝統ある神社とのこと。
仲哀天皇とその后神功皇后に、二人の子応神天皇をお祀りしてあります。

山口でも神功皇后にまつわる神社にたどり着くとは。

仲哀天皇は、福岡の香椎で天罰を受けて、崩御したので、生前のことが残っている史跡に出会えてなんだか嬉しかったです。

 

広場の中心の目立つところには「石鬼」という史跡が。

 

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新羅塵輪熊襲を煽動し、この地で皇軍と戦ったそうです。

ということは、肥後地方は新羅の力が及んでいたということなのでしょうか?

塵輪は、仲哀天皇が成敗。鬼のような形相になっていた塵輪の首は、ここに埋められているそうです。

 

そして、これは「石鬼」ではなく「鬼石」でした(汗)

 

次は武内宿禰の植えた銀杏の樹。年代を感じます。

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こちらは神功皇后が植えたさか松。

松の苗木を逆さまに植え、朝鮮半島への出兵前に、武運を占ったそうです。

逆さまでも松は根を張り、育ったので、「さか松」名付けられました。

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御影の井戸

 

菅原道真公が太宰府に左遷され、その任地に向かう途中ここに立ち寄っていたそうです。

まさか山口に史跡があったとは、知りませんでした。

この井戸の水面に道真公は、顔を映されたそうです。

ここから海峡を渡れば、本州とはお別れ。どのようなお気持ちだったでしょうね。

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串崎城址

 

ここには、長府初代藩主毛利秀元の城があったそうです。

中世にもここの高台は、当時の領主の城として機能していたとのこと。

しかし、江戸幕府の一国一城制の発布により、この城は取り壊されました。

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関門橋が見えます。

下関戦争で、列強諸国に占領された砲台跡がこの辺りにいくつかあります。

ここも、戦略的要地なので、押さえられたそうです。

このあと、長州は逆境を乗り越え、倒幕へと猛進していきます。

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幕末にはどんな景色が見えたのでしょうね。