飯塚市は何度か行っているのですが、隣の嘉麻市は何があるのかわからない。果物がよく取れて、炭鉱業で栄えた頃があった町のイメージでした。
ところが、大きな古墳があると知り、興味が湧いたので行ってみました。
まずは、碓井平和祈念館というところに行ってみました。太平洋戦争をメインに扱った資料館でした。一階は図書館です。
嘉麻らしいと言えば、戦時中の日本本土は、労働人口が激減していたので、朝鮮半島の人々を無理やり連行したり、唆して、不当に炭鉱で働かせたりしていたことでしょうか。東亜の人々が一体になって、戦争に勝たねばならない。朝鮮半島の同志の力も借り・・・、というような新聞記事も見ましたが、実情はどうだったのでしょう。
今まで知らなかったことが2件ありました。
戦地の兵への慰問文を子供や女性に書かせて、送らせていたそうです。特に若い女性のものは喜ばれ、知らない相手同士ながらも、そのまま文通が始まることがあったとか。
検閲は一般の手紙より甘かったそうです。展示してある便箋はかわいい少女のイラストが印刷されていたり、手書きのイラストが入っていたりしました。
当時の便箋って、花柄だったり、罫線だけのもののイメージでしたが、おばあちゃんたちの若い頃もこういう物を使っていたんだなと思いました。
内容は挨拶や近況のこと、そして、励ましの言葉でした。確かに、つらい前線もこんなかわいらしい手紙をもらえたら、気持ちが少し軽くなる気がします。
2つ目は“青い目の人形”。
昭和初期、アメリカから日本各地に、友好のための人形が贈られたそうです。
しかし、戦争が激化すると、その人形を、子どもたちに竹槍をもたせて壊させたそうです。
中にはそんなことはさせられないと隠された人形もありました。
それが、平和の象徴として、日本で大事にされているそうです。戦時下であれど、人らしい気持ちを守ろうとしたのだと思うと、少し救われました。