前回の青木繁旧居は久留米の城下町でも外れの足軽が住む地域にあたるそうです。
戦火も少なく、通りも昔のまま残っているところも。
ここから北上すると、久留米城があります。
久留米城は、豊臣秀吉政権下、毛利秀包(もうりひでかね)が城主となり、次に田中則政が居城としました。そして、江戸時代元和7年(1621年)に有馬豊氏が入城し、約250年にわたり、有馬氏が治めるところとなりました。
久留米城跡。石碑がいっぱい。本丸跡は篠山神社が建ってます。筑後川がすぐそこ。 pic.twitter.com/1liP8dV7uU
— 奈倉まゆみ (@heikoES) 2019年7月29日
建物はなく、石垣だけが残っています。
豊臣政権の頃は毛利秀包のお城だったとか。秀包の妻はキリシタンだったので、扉には十字架がはいっているらしいけど、私にはよくわかりません。
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(案内板が反射で見えずすみません。) pic.twitter.com/CuJu8iU97S
有馬記念館の企画展。大友氏がたくさん出てきます。https://t.co/0kxEG2z73w
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小川天満宮がある辺りの有力者だったみたい。https://t.co/y7cKe0UB3C
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思った以上に九州北部は、大友宗麟が勢力を持っていたこと、そして、キリスト教の影響を受けた武将がいたことを実感したのでした。
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豊臣秀吉が九州入りするでは大友宗麟の勢力がかなり及んでいたことは、小川氏の文書を見ても実感します。
しかし、秀吉の天下統一、そして、江戸幕府が置かれ、徳川政権が天下を治めると、江戸時代の勢力図は大きく変わったのでした。
久留米城跡(篠山神社) | 観光情報 | ほとめきの街 久留米-久留米観光コンベンション国際交流協会公式ホームページ http://www.kurume-hotomeki.jp/event/?mode=detail&isSpot=1&id=402036000001